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終戦記念日 一発の銃弾

今日は終戦記念日という事で太平洋戦争に纏わるネタが・・・
私にも・・・そうそうコレがありました。

ファイル 234-1.jpg

この銃弾を貰ったのは今から十ウン年以上前、私が高校生の時です。
何気なくアクセサリー箱に紛れ飾られてたのをカッコイイからクレ!と催促して父から譲り受けたものです。
この銃弾には元々ハンダで輪っかが付けられてチェーンに通されたネックレスだったのですが輪っかは取れちゃいました(w

私の記憶が正しければ私の父は昭和9?年生まれ?アレ?今何歳?ぇ?(ぉぃっ!ww

父が晩年に生んだのが私なもので私の年齢層からはカナリ年老いた父なのですが
今だピンピンしておりとてもご老体には見えませんですww

私より遥かにご年配の方ですらアレなんでこの歳にして戦後2代目ってのも結構レアモノな気がしますがw
周囲の友人らのお父上が随分若いナーとどうりで思ったわけだ(w

ぶっちゃけ平成の世にあって俺ひとり木刀でぶん殴られて育てられてんですけどネ!
否、時代背景にあわせ木刀ではなく優しく育てたと聞いた(涙目

え?殴られたことない?子供は殴って育てちゃダメ?暴力?
甘えんなバカヤロー!ですよww
優しいとイイながら鉄拳を何千発喰らったと思ってんだ!w

アレですよ?
何か悪い事をするとガープ中将並の鉄拳が飛んで来ますからww
一発でガチ涙目になれます!
パンダどころのアザではない。ドッ○ンダレベルまでなれる(マテ

そうやって実際痛みを味わうから人に怪我させないイイ子になったんですヨ(ぇ

そんなこんなで封建制の時代錯誤のクソジジイである父(コラー!w
(書いてたら思い出してムカムカしてきたw)
太平洋戦争を子供の頃に経験しています。

かぜたちぬーのアニメどころじゃねーっす。そのゼロ戦をリアルで見てるわけです。

ゼロ戦は美しいと言っております(w
子供心にあれほど綺麗に飛ぶ飛行機は無いと思ったそうです。

そう、何時ものごとく前置きが長くなりましたが(w
この銃弾は戦争とは無関係ではありません。

この銃弾は戦争が終わった当時、子供だった父が知り合いの兵隊さん(帰還兵)に
「もうコレは必用なくなったからやるよ」と頂いたものだそうです。
この弾は実は敵(アメリカ兵)が撃ったハズレ弾だそうで拾ってお守りとして持って首からぶら下げてたそうです。

そういう事をしていた兵隊さんは結構居たらしく
ハズレた弾。当らない弾。つまり弾に当らない。事故に当らないとか合わないとか、悪い事からハズレる。という意味で拾ってお守りにしてたそうです。
それが全部の部隊で流行ってたかは知りませんが、兵隊さんと言えど死にたくないのがこのお守りからも伺えます。

当時の話をフツーに聞かされてましたが、それもだんだんと貴重な話になってきたのカナー?
せっかくなので書き記して・・・

で?何から・・・えっと・・・
当時子供だった父は竹やりで米兵を倒す訓練とか見ていて
(相手は鉄砲や飛行機相手に竹やりでどう戦うんだろう・・・コラー!w)
など思ってたらしい(ぁw

当時の子供は朝鮮人をからかって遊んだたということも聞きました。
チョーセンジン、チョーセンジン、オナジメシクテ、トコチガウ!
というカンジで意味?
虐める日本人に向かって朝鮮人のカタコト言葉で
「同じご飯を食べてる人間なのに何処が違う!」という朝鮮の人の日本語のカタコトをそーやって子供達がからかってたそうです。
(まあこんな時期にアレですがそーいう時代背景なんで)

そんな時代背景の中、やがて戦争は激化して行きます。
東京も危ないからと子供は九州や福島など東京から離れた田舎に集団疎開をさせられたそうです。
でもその疎開先で歩いてたらで敵の飛行機に遭遇してバババババババ!と機銃を掃射されたらしいです。
恐らくからかうつもりで撃ってきたんだろうと言う話でした。
その時撃たれて死んでたら私、生まれてなかったんですけどね(怖っ

そんな重大な事になるのに何シレっと無抵抗な子供に撃ってんじゃい!ですがソレが戦争ってものなんでしょう。

ちなみにその銃弾を数日後に大人の人が掘り返したら土の中でまだ煙が立ち上ってたそうです・・・。

そして疎開先の学校であの「朕・・・」から始まる有名な玉音放送を聞いて日本が負けた事を子供心に知ったそうです。
朝、学校で整列させられて聞いたそうです。
子供なので意味はよく分からなかったそうですが、周囲の大人がうつむいたり泣き崩れたり、その雰囲気とかで日本は負けたんだという事を知ったそうです。

戦争が終わり父親(じいちゃん)が迎えに来て東京へ帰って来るのですが
当時の東京は大空襲を受けたあとで一面焼け野原で、とにかく何も無い瓦礫の山で呆然としたそうです。
(じいちゃんは私が生まれる遥か前に死んじゃったのでじーちゃんという存在を知らないのですが東京の大島で洋服職人を何人か抱える仕立て職人さんだったそうです)

遠くの方に煙突がポツン、ポツンと所々見えるだけ。
とにかく見渡す限り一面焼け野原。その光景がずーーーーっと遠くまで続いて見えたそうです。

不謹慎かも知れませんが先の東日本大地震の大津波で被害にあった街のように。
それよりも酷いかもしれない光景が永遠と・・・

そんな焼け野原を道なき道をガタコトとトラックがやってきては誰とも分からない真っ黒な死体を引っ掛けて
トラックに山住にして回収しては広場で焼いてたそうです。

死体も埋めるところが無いからそこらじゅうの空き地にデカイ穴を掘って埋めてたそうです。
なので今公園になってるところとか特に錦○公園なんか・・・だそうです(おーーーーーーーーーいっ!www
まあww後日移し変えられたとは思いますが。
聞いた話なので私も確証はありませんからね(w

とにかく何も無い、食べるものも無い。
とにかく食べないと生きていけないのでヤミ米やら物々交換やらで千葉の方の農家へ食べ物を分て貰いに父(じいちゃん)に連れられてリュックを担いで行ったそうです。
子供を一緒に連れて行くと農家の人によっては余計に食べ物を分けてくれるからだそうです。
中にはイジワルな人も居たらしいけど

千葉に行くのに機車に乗って行くらしいのですが
レールは空襲の熱でフニャフニャになっていて、そこの上に掴まるトコも何も無い、とにかく上の物が付いて無い台車だけの鉄道に乗って千葉まで行ったそうです。
台車だけの電車には人が沢山乗っていてガタゴトと、それどころではない酷い揺れだったそうです。
中には当然振り落とされる人もいたそうです。

帰って来ても何も無い瓦礫の一面焼け野原の街。
誰とも知らない、恐らく持ち主が死んで分からないであろう土地には朝鮮人がロープで囲って自分の土地だ!と言わんばかりに搾取する事も横行してたそうです。
憲兵(警察?)もそんな朝鮮人達に手を焼かされてて好き放題やられるわけです。
(イジメてた仕返しとか、戦争に負けて自尊心を失って日本人が弱くなったのもあるらしい)
今のパ○○コとかもいくつかはそーやった土台の上になりあがっていったそうです。

とにかく横暴な事に対抗すべく特攻崩れみたいな荒れくれ者が集まって対抗してたとか。
それがやがて当時の8○3やチンピラになっていくらしいと。
(それが今の89○屋さんにどー関係してどーなっていったかまで知りませんけど)

とにかく警察も政治もなにも機能してない
一面焼け野原で何も無いところで
「明日をどうやって生きていけばいいんだろう・・・」
そればかり考えてたそうです。

一杯の雑炊には、米なんて殆ど入ってない、水だけの雑炊だったそうです。
とにかく今日を生きることで精一杯だったそうです。

今でこそ立派な街並になってスカイツリーが立ってる世で信じられないかもしれませんが
今でもあの線路、あの道に、当時の焼け野原の面影を見るそうです・・・。
むしろあの頃から見たら今の日本は当時のマンガに書いてあった未来の世界で夢みたいだそうです。

ま。父から聞いた話なので忘れてる部分もあるでしょうが。
それは追々思い出したときにでも書き加えておきます。

ちなみに政治色やらなんやらそんなつもりで書き記したワケじゃないので変な輩が湧くのは勘弁してネw

この弾が見てきた世界は今からでは想像できない世界だったんでしょうね。
って話です。

眠い中書き殴ったもんでまとまってネーw

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